眼のマッサージとキトサンが拠り所
最近どうも目の見え具合が悪くて、かなり心配しておりました。
視野が狭まってきたのか、動体視力が更に低下してしまったのか、
眼鏡をかけても妙に見づらくて、これは、ひょっとしたら急激に
視力が失われる前兆ではないのか、と不安で堪りませんでした。
目の疲れがひどいことにあらためて気が付いて、久々に目の周り
の筋肉を解すマッサージをしてみたところ、アラ不思議、
眼がグリグリ良く動いてサッと視野まで広がったようで、
周りの景色もクッキリはっきり見えました。
欠かさなかった目の周りのマッサージを最近は仕事の多忙に紛れて
すっかりご無沙汰していたんですね。
腰も若干痛めていましたし、肩凝りも溜まっていた感じで眼に疲れが
集中していたのでしょうか、解してみると本当に気持ちが良かったで
す。
やはり心もとない私の視力をすべて支えてくれている両眼には、毎日
感謝を込めて優しいマッサージは不可欠なことをあらためて知らされ
ました。
網膜色素変性症とはいえ、視力が何十年も維持されていることで油断
もあったようですが、齢55年を越えて体力ともども自身への過信は
禁物であることを痛感しました。
現在のところ、いかほどの効果があるのかは明言できませんが、
眼のマッサージと毎日飲んでいるキトサンの二つが、対網膜色素変性
症の実効的な方策として精神的な部分でも大きな影響を私に与えて
いることは間違いありません。
私にとっては日常必需品
で、このマッサージ、両方の目の周りを丹念に揉み解していくのです
が、脳梗塞の後遺症である麻痺の症状が左半身に出ているせいで、
見た目は良く見ないと分からない程度でも、左目は瞼が垂れ下がる
傾向があります。
人間の身体は本当に良く出来たもので、わずかな垂れ下がりでも
視界という面では大変な差異が生まれてしまいます。
よく朝など眠くて眼が開かない、などといいますが、あれと同じで
少しの瞼の動きの悪さ、ほんの少しの瞼の垂れ上がりでも、
眼が開いていないのかと勘違いするほど視界は狭くかんじてしまい
ます。
というわけでごくごく小さな身体の変化でもその影響はまことに
甚大なものでして、その意味からも気休めといわれようが、眼の
マッサージは私にとっては日常必需品だったのを忘れていた罰の
ようなものでした。
ただしこの眼のマッサージ、やり過ぎると瞼とかは皮膚がデリケート
ですから、擦過傷の如く傷まで作ってしまう事態となりますと、今度
は瘡蓋じょうたいとなって、まあ、瞼が重くて動かなくなること、
まっこと不自由な眼には愛着を感じつつも手間隙がかかるのでありま
す。




