メディアと網膜色素変性症
網膜色素変性症については特定疾患の難病であるだけに、治療法がないのはもちろんですが、病気に関する情報が極めて少ないのも特徴的です。患者さんの現状であるとか闘病生活に役立つような情報がとても少ないので、それでなくともひとりや家族だけで悩まれているケースが多いのが深刻化してしまうこともあるようです。さいわいなことに最近ではインターネットの環境も整ってきていますので、ロービジョンケアでも紹介されている音声読み上げの補助装置を用いれば、視力に自信がなくてもネットから情報を得ることは容易になっています。
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メディアといえば、網膜色素変性症を扱った映画やドラマ、コミックなども散見しますが。いずれも不幸な身の上の設定としての扱いがほとんどですね。映画では「蔵」、ドラマですと最近NHKで放送された「チャレンジド」が有名なところですが、いずれも眼が見えない、というハンデキャップにもめげずに頑張りました、という点に焦点が当てられていて、網膜色素変性症の特有の困難さや症状については通り一遍の状況説明に終っているようです。
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決断を要する白杖
「少女ファイト」という連載コミックのことも最近知りました。兄弟のひとりが網膜色素変性症との設定で父親や弟との葛藤も描かれています。このコミックでは遺伝性であることや、将来進行した場合に備えての準備などが表現されていますが、難病の子供をかかえた親の苦悩が良くあらわれているように思いました。さすが世界一のアニメ文化を誇る日本だな、と変に感心することしきりでした。
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このコミックでも触れらているロービジョンケアですが、網膜色素変性症の場合治療法がないため、今持っている視力を最大限生かそうとする一種のリハビリですから、治す方法を求めている親にはなかなか受け入れ難い側面も持っているようですね。障害者になる準備をしているように感じるためでしょう。例えて述べるなら、網膜色素変性症で症状が進んで視力が低下して視野も狭まった時に、なかなか外出時に白杖を手にする勇気が湧いてこない心境と言えるでしょうか。経験者のおはなしでもかなり決断を要することだそうです。
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詩情に富んだ看護師さん
親にしてみれば、そういう身体に生んでしまって不憫だ、将来のために何とか眼を良くしてやりたい、先の生活はどうなってしまうのか、失明だけは避けたい、などという心理状態になることでしょう。眼科医から診断を受けた段階で根本的な治療法がないことは告知されているはずですが、それでもどこかに治す手立てはないものか、と探し回るのが親心というものでしょう。その時に、眼が見えなくなる恐れが十分に考えられますから、今から見えなくなっても困らないように準備しておきましょう、という提案はとても切なく感じることでしょうね。
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切ない、という言葉で思い出したことがあります。脳梗塞で入院した当初、麻痺がひどくてひとりではベッドから一歩も動けない状態だった私に、看護師さんが「(脳梗塞になるには)まだお若いのに身動きが急に出来なくなって切ないですね。」と声をかけてきました。切ない、という表現に驚いたことを覚えています。といいますのも、切ない、という言葉は恋愛感情の表現や男女間で用いるようなイメージを勝手に持っておりましたので、病気で動けないことがどうして切ないのかピンとこなかったんですね。今にして思えばやり切れませんね、くらいの意味あいだったのかとも思いますが、なかなか詩情に富んだ看護師さんだったんですね。




