網膜色素変性症は小さな頃から発症していた
夜盲症に関しても極端に視力が悪いことも全ては病気ではなく栄養面や何かの偏向かと考えていました。と申しますのも、両親や親戚にも網膜色素変性症の患者は見当たらないことはもちろん、視力の面でも近視や乱視は該当する人がいなかったせいでもあります。母親は後年近視であることは判明しましたが、それとてきわめて軽度の近視であり、乱視ではなかったのです。
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父親に至っては視力を自慢できるほどの眼の良さを誇っておりました。
いかにしてこんな不自由な眼の子供が出来るのか、と子供心にも考えた時期もあったようですが、小さな頃は牛乳を大の苦手としており、そのせいでビタミンAとかが欠如しているせいかとも勝手に想像したりしていたようです。
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牛乳を嫌っていた件に関してはちょっとしたエピソードが記憶に残っています。かつて赤ちゃんが飲むミルクに砒素が混じっていたヒソミルク事件というのがありました。詳しい被害状況は覚えてはおりませんが、かなりの社会問題にまで発展したそうですから相応の被害者もいらした模様です。嫌がって粉ミルクを受け付けなかったそうですが、そのお陰で砒素の影響を免れたと真顔で母親に告げられたことがあります。
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眼が極端に悪い代わりに砒素の被害(数多い小児麻痺があったそうです。)から逃れたのか、などと妙な納得の仕方をしていたものですが、今考えてみればおそらくかなり小さな頃から網膜色素変性症は発症していたように思います。
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特定疾患との眼科医の説明も上の空
で、半世紀ほど過ぎてようやく網膜色素変性症との認識を持つに至りますが、当然ながら全くの門外漢であります。運悪く脳梗塞での1ヶ月ほどの車椅子生活中でありますから、難病だ特定疾患だとの眼科医の説明もどこかしら上の空です。これまで十二分に悪い眼で過ごしてきたたたきあげのキャリアがありますから、眼に関しては妙な自負がありました。
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視力も人の10分の一くらいで暗いところは全く見えない「眼が悪い」人間ですから、これ以上は眼は悪くはならない、と自身に勝手に思い込ませてきた数十年の歴史と人生観、というほど大層なものでもありませんが、ともあれ、まあ大丈夫なんじゃないの?くらいの感じでしょうか。見くびるにもほどがありますね。
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それに車椅子からの脱却が、当時は必達目標だったこともあります。これまで何も考えずに立ったり歩いたり走ったり出来たことが、特に意識もしないで自由に扱えた左手がまるで壊れたようにいうことを聞きません。さすがこれまで至って健康に過ごしてきた積りの自分にとって、初めての入院生活は衝撃的でした。ひょっとしたらこのまま寝たきりになるのではないかと不安が頭をかすめて、涙が出そうになったこともありました。
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幸いなことに脳梗塞は後遺症は残ったものの、約1ヵ月半の入院生活からの解放記念日には杖をつきながらも自力で歩いて帰ることが出来ました。その後のリハビリの成果もあって、パソコンのキーボードも自由自在とまではいかないまでも麻痺した左手でもほぼ全ての指で操作が出来るまで回復しました。いまでは杖も必要ありませんし、階段の上り下りも手摺りにつかまらなくても大丈夫なほどです。
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色変若葉マーク
網膜色素変性症の患者となってあらためて驚いたことは、自分くらいかと思っていた眼の悩みをお持ちの方が、全国には想像以上にいらっしゃることでした。
色変若葉マークの私から見れば皆さんの逞しさには感心するばかりです。一口に網膜色素変性症と申しましても、その症状やコンデションはまるでバラバラです。
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かつて今よりは遥かに眼が見えていた頃には夜中の自動車の運転も雨の中のドライブもまるで気にしたことはありませんでした。強気でいうなら雨の夜のドライブが好きだったくらいです。それが今では光に弱くなったセでしょうか、夜の雨と聞いただけで尻込みしてしまいます。対向車のヘッドライトの眩しさといったら、まさに眼が眩むとはこのことかと実感する始末です。
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色の見え方にも変化があるようです。かつては曇った日や夕暮れ時には色調が見分け難いと感じたものですが、年齢と共に逆転しつつあるように感じます。網膜色素変性症は網膜に異常な色素沈着が起こる進行性の病気であるとの説明を眼科医からも受けていますが、網膜そのものへの理解が全然出来ていませんでしたね。
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カメラでいうところのフィルム、この言い方が一番分かりやすかったです。重篤な眼の疾患がある割には眼科系の知識がまるでありませんでした。角膜と網膜の区別すら出来なかったのが実情です。網膜色素変性症は網膜が壊れていくに従って周辺が見え難くなる、との説明も多いのですが、この症状は言われてみて初めて分かったことでした。
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これまでにも正面から少し外れたところから近づいてくるものに対して反応が極端に悪かったからです。笑えませんが、よく相手の顔を眺めながら相手が差し出してくれている胸の高さくらいのモノに気付かないことはしょっちゅうありました。ちょっとでも暗かったりするともう完璧に分かりません。小学生時分にスキー場に行った折には、夜ゲレンデから戻っていくのにみんなが談笑しながら歩いているのに、自分ひとりが真っ暗闇で友達の声を頼りにとぼとぼ歩いていたことを思い出します。




